毒を食らわば皿まで。
草食理系男子の夫とはブログ婚。四十路眼鏡女の結婚育児奮闘記。
そして今日もあなたは穏やかに微笑んでいる
よくドラマとかで
「人生はいつでもやり直せる」
なんて台詞が出てくるけど。

本当なんだろうか。

あたしもやり直せるんだろうか。
やり直していいんだろうか。

自分がしてきたことを考えれば、自業自得なんだけど。
甘んじて受け入れるべきなんだろうけど。

でもどっかで目を逸らしてここまで来てしまった。
向き合うべきことから逃げたまま、ここに来てしまった。

今あたしは人生の大きな岐路に立っていて、それを受け止めきれないで居る。
それを受け入れるということは、誰かを裏切ることのような気がして。

でも、誰かって誰だ。

過去にあたしが苦しめた人達だろうか。
確かに今の自分のぬるぬるとした幸せに浸かった生活は、自分が苦しめて来た人達の悲しみの上に成り立っている部分も少なからずあるわけで、どこかいつも後ろめたい気持ちがあるのは事実だ。

それとも、あたしが苦しめられた人達だろうか。
純粋に「幸せになりたい」という気持ちの他に、自分を悩ませた人達に対して「見てろよー!絶対に幸せになってやるからな!」みたいな気持ちがあるのもこれまた事実だ。


矛盾してるけど、どちらも確かにあたしの中に混在している感情だ。

目の前にある幸せを、素直に受け入れられないあたし。
なのに人一倍幸せになることに貪欲で。

「普通」に生きることに執着してて。
ごく当たり前で「平凡な生活」に固執するあたし。

それでも自己主張せずには居られなくて。
波乱万丈に生きてきた自分をどこか誇らしく思ってる。

だけど、その波乱万丈な人生のせいで多くを失った。
無鉄砲で身勝手な生き方のせいでたくさん見失った。
家族、友達、お金、子供。

それでも、そんな生き方をしてきたのだとしても、
やり直せるんだろうか。

今まで自分の無知で身勝手な生き方のせいで、たくさん踏みつけてきてしまったものを、消化しきれないままこれからの人生を歩んでしまっていいんだろうか。
幸せになるための努力をしてしまっていいんだろうか。

本音を言えば、これからの人生、
何事もなかったかのように笑って生きたい。
全てを受け入れ、ほがらかに笑っていたい。

誰かに許しを乞うような気持ちで毎日を生きていくのはもうやめたい。
幸せをひとつ受け入れるたび、罪をひとつ背負うような気持ちになる。
あたしにとって「ありがとう」は懺悔の言葉だ。

幸せをありがとう、幸せでごめんなさい。
喜びをありがとう、喜んでごめんなさい。

愛情をありがとう、愛されてごめんなさい。
愛してごめんなさい。

でも、そんな生き方はもうやめだ。


当たり前に生きたい。

当たり前に幸せで、当たり前に愛されたい。


そして、当たり前に愛したい。



あなたを当たり前に愛したい。
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